神奈川県の島猿島(さるしま)
猿島
猿島図

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10/08/04 ----Copyright(C) 日本の島へ行こう All rights reserved.

猿島(さるしま)
東京湾の見張り番、猿島要塞
住所/神奈川県横須賀市猿島
面積/0.05km2周囲/1.6km
人口/0人(観光客はたくさん訪れますが無人島)
アクセス/京急横須賀中央駅(徒歩10分)/JR横須賀駅(徒歩20分)→三笠桟橋→猿島(10分)
概要
戦艦三笠
京急本線横須賀中央駅東口を出て、横須賀新港方面へ10分ほど歩くと東郷平八郎の銅像と戦艦三笠が横たわる三笠公園があります。その公園脇にある三笠桟橋から猿島へ向う定期船が1日9往復、1時間おきに発着しています。
東京湾には台場や富津沖の海堡(かいほ)などいくつかの人工島がありますが、猿島は東京湾に浮かぶ唯一の自然島です。その証拠に島内からは縄文時代の土器片や弥生時代の人骨や壺が出土しています。昔は近くに小島が点在していたということですから、簡単に渡ってこれる場所だったのかもしれません。今では多くは埋め立てなどで無くなってしまって猿島だけが自然島として存在を示しています。
日蓮洞窟
島の北端に弥生時代の遺物が見つかった洞窟がありますが、この洞窟は日蓮洞窟とも呼ばれ、日蓮上人が安房国から鎌倉へ渡る際、嵐に遭い方角を見失った時に、一匹の白猿が島へ導びき難を逃れたとされる場所で、猿島の名前の由来にもなっています。
要塞
浦賀水道は古くから海上交通の要衝として捉えられてきましたが、19世紀になり外国船の脅威を肌で感じるようになった幕府は、1847年に猿島にも砲台を築いています。3カ所の台場に、15門の大砲が据えられたといいます。
そして、6年後の1853年7月8日には遂にペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に入港しています。数日間足止めされたペリーは周辺の測量調査を行っていますが、その時の地図に猿島のことをペリーアイランドと記しています。
明治期になると新政府は幕末の尊皇攘夷運動から一転して開国、富国強兵策が推し進められ、明治17年(1884)には猿島にも本格的な洋式要塞が造られています。
そして、日清・日露の戦争に勝利した日本は軍国主義思想が台頭するようになり、第一次大戦を経て太平洋戦争へと突入していきます。昭和16年には猿島にも高射砲が築かれ敵機の襲来に備えますが、一度も使われること無く敗戦を迎えています。当時猿島は砲台を備えた姿から「軍艦島」とも呼ばれていました。
敗戦とともに猿島の高射砲も米軍により撤去され、昭和32年には海水浴場がオープンしています。平成5年には管轄の問題で一時閉鎖されたこともありましたが、今では横須賀の定番観光地として賑わいを見せています。
浜辺
猿島では砂浜での海水浴やバーベキュー、岩場での釣り、北へ伸びる散策路を通って要塞跡や日蓮洞窟などが見学できます。ただし、安全管理上島内に泊まることは出来ない決まりなので、基本的に夕方5時の船で全員撤収ということになります。

関連リンク

横須賀市ホームページ「総合案内」
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