静岡県の島弁天島(べんてんじま)[柿崎弁天島]
弁天島
弁天絵図
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弁天島(べんてんじま)[柿崎弁天島]
吉田松陰の志(こころざし)
住所/静岡県下田市柿崎
面積/0.07km2周囲/0.3km
人口/無人島
アクセス/伊豆急下田駅[須崎行バス]→柿崎神社前(5分)

日本全国にたくさんある弁天島の中で、黒船と幕末の思想家・吉田松陰ゆかりの地として知られているのが下田の柿崎弁天島です。
弁天島公園の像
ペリーの浦賀来航(1853年)を目の当たりにした吉田松陰は、西洋文明の先進性と日本の未熟さを痛感し、海外渡航を企てるようになります。そして翌年4月、弟子の金子重之輔と共に下田湾に停泊中のアメリカ艦船への侵入を計画、柿崎の弁天島から闇夜にまぎれて小舟を漕ぎ出します。天候は不順で波が高く、やっとの思いで旗艦ポーハタンに乗り移った二人は、必死に渡米の意思を訴えますが、ペリーは乗船を認めず直ぐに送り返されてしまいます。
計画は未遂に終わりましたが、密航の企てがいずれは発覚することを悟り、松陰自ら奉行所に申し出て投獄されています。この時、松陰も金子も23歳。まさに血気盛んな青年の暴挙ともとれる行動ですが、日本の存亡を真剣に考える情熱と勇気ある姿に胸を打たれます。
鷺島神社と龍神宮 鷺島神社と龍神宮
現在の弁天島は西側が埋め立てられ下田弁天島公園として整備されていますが、幕末の頃は鷺島神社と龍神宮の二つの祠があるだけの小さな岩島でした。松陰達が身を隠した鷺島神社のお堂には「ささげ弁天」と書かれた神棚があり、この島を弁天島と呼ぶ理由はここにあります。
「ささげ弁天」の“ささげ”の意味するところは資料がなく不明ですが、天正年間(1573~1592年)の創建だという伝承があるようです。また、境内の説明文に“この龍神は下田城主によって祭られた守護神”とあることから、弁天の神使である龍神も同じような時期に祀られたものだと思われます。
鷺島とは恐らく「さき(先・崎)島」と呼ばれていたものが転じて鷺島となり、そこに祀られていた弁天様は、江戸時代後期の神仏分離の風潮で新たに社が造られ、鷺島神社と改められたものではないでしょうか。
今では完全に陸続きになっているため“島”とは呼び難くなっていますが、松陰が身を隠したとされるお堂や岩場の洞穴は当時の雰囲気を伝えています。この場所から下田湾を航行する“黒船サスケハナ号”を眺めれば、少しは吉田松陰の志を感じることができるかもしれません。

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