静岡県の島神子元島(みこもとじま)
神子元島
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神子元島(みこもとじま)
孤島の岩島にも居た灯台守
住所/静岡県下田市
面積/0.14km2周囲/4km
人口/無人島
アクセス/下田港からチャーター

神子元島は伊豆半島の南端・石廊崎(いろうざき)の東南東約9kmの位置に浮かぶ小島で、静岡県最南端の島です。
黒潮に洗われる神子元島には樹木はまったく無く、岩山の頂上に立つ白黒ストライプの灯台が目印です。灯台は“日本の灯台の父”とも賞されるリチャード・ヘンリー・ブラントン施工によるもので、1871年1月の初点灯以来、伊豆半島沖を往来する船舶に光を放ち続け、今なお当時の姿を残す石造り様式灯台として国の史跡に指定されています。
江戸時代までは灯明台や常夜灯と呼ばれるものが岬や港を照らしていましたが、夜間の目印にはなっても航行の安全を守るという観点からは心許無いものがありました。しかし、開国によって諸外国の船が日本の沿岸部を航行するようになると、西洋式灯台の建設が求められるようになり、1866年の江戸条約(改税約書)で8基、翌年の大坂条約で5基の灯台建設の取決めがなされ、日本の夜明けを推し進める一大事業として取り組まれることになります。
リチャード・ブラントン
R・H・ブラントンは条約で定められた灯台建設を実現させるべく明治新政府が招いた、いわゆる“お雇い外国人”の一人で、1868(明治元)年8月に来日し、滞在した8年間に26基の灯台建設に携わっています。
そして、神子元島灯台は江戸条約で定められた8基の灯台の一つとしてブラントンが建設したもので、1869(明治2)年2月に着工し、1年9ヶ月の歳月と多額の経費が掛けられて完成。点灯式には当時の太政大臣三条実美をはじめ、大隈重信、大久保利通などの顔ぶれが並んだといいます。
神子元島は人も住めないような岩島ですが、灯台が出来てからは昭和7年まで灯台守が常駐していました。歌人・若山牧水は大正2年にこの島で灯台守をする友人を訪ね、その時のことを歌集「秋風の歌」に収めています。その後灯台守は10日交替制になり、昭和51年からは巡回保守の無人島となっています。
今では神子元島周辺は磯釣りやダイビングのスポットになっていて、島に上陸する人もいるようですが、灯台の近くに残された官舎や倉庫を見て、この島で生活をしていた灯台守が居たことを思い起こす人がどれだけいるでしょう。

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