愛媛県の島忽那諸島中島(なかじま)
中島
中島

松山市の宿
楽天ウェブサービスセンター

13/06/28-------------Copyright(C)日本の島へ行こう All rights reserved.

中島(なかじま)忽那諸島]
忽那の中心、みかんの島
住所/愛媛県松山市中島
面積/21.14km2周囲/31.2km
人口/3,707人(H17)・4,263人(H12)・4,788人(H7)国勢調査
アクセス/[中島汽船株式会社]
[高速船] 高浜港→睦月島・野忽那島→大浦港(25~40分)/高浜港→神浦(こうのうら)港(26分)
[フェリー]三津浜港→高浜港・睦月島・野忽那島→大浦港(1時間20分)/ 三津浜港→高浜港→神浦港(1時間10分)
概要
松山市の沖合に浮かぶ忽那(くつな)諸島の島々の中で一番面積が大きく、人口が多いのが中島です。松山の高浜港から野忽那島、睦月島を経て中島の大浦港まで高速船でおよそ30分の距離にあります。
歴史は古く、奈良時代には法隆寺領の荘園として「骨奈嶋」、平安時代には牛馬の放牧地として「忽那嶋」の名が見え、中世に記された『忽那嶋開発記』によれば藤原道長の後裔親賢がこの地に配流され、その子親朝が寛治年間(1087~94)に忽那諸島を開発したとされています。南北朝時代から戦国時代にかけて豪族忽那氏が勢力を振るう拠点となりましたが、秀吉の天下統一で消滅し、その後は畑作や海運業で栄える島として歴史を刻んでいきます。
みかん天国
花崗岩からなる島は侵食による複雑な地形をしており、北に泰ノ山(289m)、南に大里山(296m)が聳え、山がちで斜面にはみかん畑が広がっています。2009年には『ミカンの天国(pdf)』で「島の宝100景」に選ばれています。
見どころ概要
大串キャンプ場…島の南東、姫ケ浜海水浴場の北側にあるキャンプ場。設備が整っており、展望台や遊歩道もある。
姫ケ浜海水浴場…島の南東、長師漁港近くの海水浴場。美しい砂浜が500m続く人気の海岸。シーズンには売店、食堂、貸しボートあり。
アミアアゲ・ビーチ…大浦港の北側にある人工海浜。300mの砂浜。トイレ、更衣室、シャワー完備。
B&G海洋センター…B&G(ブルーシー・アンド・グリーンランド)財団が運営するスポーツ施設。体育館、プールなどがある。大浦港から南へ1km。
トライアスロン橋…中島はトライアスロン開催地として知られる島で、役場・農協前の県道に架かる3つの橋のたもとにスイム・バイク・ランの飾りが施されている。
泰ノ山城跡…北部の泰ノ山(289m)には文治5年(1189)に忽那兼平が築城した山城があったと言われている。忽那氏は以後400年にわたってここを拠点に活躍した。今でも廓(くるわ)の一部や井戸の跡が残されている。
長隆寺…忽那氏のルーツとされる藤原親賢が応徳元年(1084)に建立したと伝わる寺院。本尊は千手観音。余韻が70呼吸もあるといわれる美しい音色の「弥勒の鐘」でも知られている。
忽那家文書…鎌倉時代から戦国時代にかけての忽那氏に関する古文書。「忽那島相伝之証文」、「忽那一族軍忠次第」、「忽那氏系図」から成り立ち、南朝、後醍醐天皇、北条氏との関係が窺える貴重な資料。県指定有形文化財。
文中の板碑…文中(ぶんちゅう)とは南北朝時代の南朝方の元号。高さ160cm、幅30cmの凝灰岩の柱に地蔵尊が刻まれ、「文中元年」(1372年)の文字が見える。県指定有形文化財。
忽那義範表忠碑…南北朝時代、南朝方に組みし活躍をみせた義範をたたえる碑。昭和3年に建てられたもの。町指定文化財。
びしゃもん堂の秘仏…この地で勢力があった忽那義範が京都の鞍馬寺から迎えたとされる毘沙門像。4年に1度、御開帳がある。
真福寺…長師の港から県道を登った所にある寺院。南北朝時代の北朝の元号で記された「貞治年間の板碑(町指定文化財)」がある。四国八十八箇所の砂踏道場もある。
懐古館…西岸・熊田地区の正賢寺境内にある資料館。島内の宇和間地区から移築した古民家を資料館にしたもので、江戸時代の農具・漁具・日用品など約3,000点を保管・展示。
桑名神社…島の北部、粟井地区にある神社。かつて繁栄した廻船問屋など氏子が奉納した江戸時代の船の絵馬が多数残されており、町の文化財に指定。

関連リンク