愛媛県の島越智諸島津島(つしま)・大突間島(おおづくましま)
津島・大突間島
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13/10/14-------------Copyright(C)日本の島へ行こう All rights reserved.

津島(つしま)越智諸島]
幻の「津島いちじく」
住所/愛媛県今治市吉海町
面積/1.49km2周囲/5.6km
人口/32人(H17)・52人(H12)・64人(H7)国勢調査
アクセス/吉海港(大島幸)→津島港(12分:時刻表
今治港→津島港(30分:時刻表
概要
津島は「しまなみ海道(西瀬戸自動車道)」が通過する越智大島の西約1kmの海上に浮かぶ有人島で、南東には無人島の大突間島を従えています。
周囲5.6km、標高176.6m、来島海峡内に点在する島々の中では一番大きく、大島の吉海港(津倉)の入口にあることから古くは門島と書いて“つしま”と呼んでいました。元亀・天正年間(1570~92)には河野水軍の田房隼人正の城があり、城主滅亡後は大島や大三島からの入植で北東側の湾内に集落が作られていきました。
島民は真宗の信仰があり、殺生を嫌ったことから漁業は行われず、農業と海運業で発展を見せています。
歴史
江戸末期には開墾が進み、稲作と甘藷や麦などの畑作が行われ、明治期になってイチジクやミカンなどの商品作物も栽培されるようになっています。今では幻となった「津島いちじく」は独特の甘味があることからブランド化され高値で取引されたこともあります。
また、海上交通の要衝にあったことから古くから海運業に従事する者も多く、島内の大山祇神社に安全祈願で奉納された天保8年(1837)の絵馬には5隻の大型帆船が描かれています。
明治から昭和にかけて木炭から石炭へと船の積荷は変わり、島の人口は500人を数えたこともありましたが、昭和30年代になり帆船の時代が終わると津島の海運業は衰退。急激に人口減少が進み昭和38年には小学校が廃校となっています。
平成25年10月1日の愛媛新聞に「29年ぶり、みこし復活へ 今治・津島」という記事が掲載されています。昭和59年(1984)以来中止になっていた秋祭りでの神輿運行が復活するというのです。市内のNPO法人の支援企画によるもので、明るさと活気を感じさせてくれます。その時津島で暮らす人の数は16人、平均年齢約83歳とあります。
大突間島(おおづくましま)越智諸島]
水軍の出城
住所/愛媛県今治市吉海町面積/0.08km2周囲/1.1km
人口/無人島アクセス/チャーター船
概要
大突間島の瀬戸
津島の南東わずか80mの距離にある無人島。標高38mで南側に池があります。来島海峡の入口にあたり、津島と大島に挟まれるこの海域は潮の流れが速く、島名は“大渦が巻く島”というのが由来だとされています。
縄文時代から古墳時代にかけての土器片や古墳跡、また中世半ば頃の村上水軍の出城跡が見つかっています。古墳は既に取り壊されて確認できませんが、水軍が築いた石垣や使ったと思われる古井戸跡は残されているようです。

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