広島県の島安芸群島江田島・能美島・沖野島・大黒神島・大奈佐美島・絵の島
江田島(えたじま)・能美島(のうみじま)安芸群島
住所/広島県江田島市江田島町/沖美町/能美町/大柿町
面積/91.44km2
人口/27,801人(H22.2.1住基)・32,271人(H12)・34,861人(H7)国勢調査

中世の頃までは江田島と能美島の間には船が通れるほどの瀬戸が存在していました。その頃は堀越ノ瀬戸と呼ばれていましたが、潮に運ばれて土砂が堆積し、江戸時代には干潮時に歩いて渡れるほどの浅瀬が広がっていたといいます。その浅瀬も次第に埋め立てられ現在では完全に陸続きになっています。今も残る飛渡瀬(ひとのせ)という地名は、その浅瀬を石伝いに飛んで渡れたことから付いた地名だと言われています。また能美島も東能美島と西能美島と別々の島があったようにも思われますが、これは検地などで能美島を東と西に分けて呼んだ地名の名残りのようです。完全に陸続きになった一つの島に3つの島名があることに対して奇異感はありますが、住んでいる人達にとっては一つの名前に統一する必然性が無かったのかもしれません。しかし、近年江田島市の要請があり、平成20年2月15日に行なわれた海上保安庁海洋情報部及び国土地理院の協議により、西能美島と東能美島に分けた表記を“能美島”に統一することが決定されました。


江田島(えたじま)
海軍兵学校の島
住所/広島県江田島市江田島町
面積/30.12km2
人口/10,366人(H22.2.1住基)・12,824人(H12)・14,130人(H7)国勢調査
アクセス/[ファーストビーチ][上村汽船
【定期船】広島(宇品)港→切串港(25分)/呉ポートピア→切串港(15分)/呉港(中央桟橋)→小用港(20分)
【車・呉市営バス】呉市内→音戸大橋→倉橋島→早瀬大橋→東能美島→江田島(約60分)

東京築地にあった海軍兵学校が江田島に移されたのは1888年(明治21年)8月1日のことです。移転の理由は、俗世間から隔絶された環境でより一層の教育と鍛錬を施し、海軍のエリート士官を育てることでした。さらに、江田島周辺の入り組んだ地形は軍用艦を停泊させておくのに適していたことも候補に挙げられた理由の一つです。
明治政府が推し進めた富国強兵策は、日清・日露の戦争を経て更に軍国主義的機運が高まり、そのまま昭和の大戦へと突入していきます。その中で海軍兵学校は時代の頂点を目指す若者を育てる独特の機関として存在感を示すようになり、江田島はその代名詞にもなっていきます。
数々の優秀な人材を輩出してきた海軍兵学校も終戦の年に閉校になります。そしてその施設は戦後米軍に接収されますが、昭和31年には返還され横須賀にあった海上自衛隊術科学校が江田島に移転され、現在は海上自衛隊第一術科学校、幹部候補生学校、特別警備隊等が置かれ、戦前の大講堂や赤レンガの旧生徒館なども残され当時の面影をしのばせています。
江田島の海上自衛隊の施設は随時無料で見学ができますが、都合により見学休止になることもあるので事前に確認が必要です(第1術科学校)。
江田島はクマン岳(400m)や古鷹山(376m)を中心に山がちで平地が少なく、特産品は山の斜面を生かして栽培されるミカンやネーブルなどの柑橘類、入り江で養殖される牡蠣やクルマエビが挙げられます。
かつての海軍兵学校の生徒達が鍛錬の場とした古鷹山には毎年春になると10万本以上の桜が花を咲かせ、呉湾や江田島湾が望める頂上まではハイキングコースになっています。
入り江が多い江田島には切串干潟、小用干潟、荒代干潟等の干潟が多く、4~9月にかけては潮干狩りが楽しめます。また、秋には観光ミカン園でのミカン狩も人気です。

能美島(のうみじま)[西能美島・東能美島]
広島湾に浮かぶ花の島
住所/広島県江田島市沖美町・能美町・大柿町
面積/61.32km2
人口/17,435人(H22.2.1住基)・19,447人(H12)・20,724人(H7)国勢調査
アクセス/[芸備商船][能美町交通局]
【定期船】広島(宇品)港三高港(40分)/宇品港→高田港→中町港(30分)
【車】[呉市営バス] [江田島バス]

江田島と能美島はかつて別々の島だったことは分かっていますが、西能美島と東能美島についてはそういう記録はありません。西能美島と東能美島の境は野登呂山(542m)と真道山(287m)の間を南北に通る国道487号線の辺りで、江田島市役所がある中町から南側の鹿川にかけての底地は有史以前は海だった可能性はあります。
能美島は平安時代後期に白河上皇の荘園だったことが知られていますが、その頃は「能美庄」や「能梨庄」などの表記が見られても、西と東には区別されていなかったようです。そして、江戸時代の検地帳に「能美島西」、「能美島東」と地名表記が見られることから、おそらく江戸時代の頃には西と東の区別がなされていて、それがいつの間にか西能美島と東能美島と呼ばれるようになったのではないでしょうか。
気候は温暖で、年間を通して降水量が少ない瀬戸内海式気候をしており、特産は柑橘類や花卉(かき)の栽培、養殖牡蠣(かき)やイリコの生産などが盛んです。また、倉橋島を通じて呉市まで橋で繋がっていることもあり、本州への通勤者も多いようです。
江田島、能美島を合わせると面積は瀬戸内海で4番目に大きく人口も多い島ですが、景色は島ならではの長閑さが感じられます。そして、桜の季節には一気に見所も開花します。
沖見町みどころ
創造の森森林公園(砲台山林道)…砲台跡やレンガ造りの兵舎跡があります。そして林道には季節になると桜並木が人の目を誘い、そこからの眺望も美しい。
入鹿海岸…西側にある入鹿海岸のサンビーチは夏になると海水浴やキャンプに訪れる人で賑わいを見せます。また、近くの鹿田公園には多目的広場、ゲートボール場、テニスコート、展望広場などがあり、レクリエーションの場として親しまれています。
能美町みどころ
真道山(しんどうざん)森林公園…標高287mの真道山パノラマ展望台からは周りの島々が一望でき、近くにあるキャンプ場や音楽広場は家族連れや若者で賑わいます。
シーサイド温泉のうみ…含弱放射能-ナトリウム・カルシウム-強塩物温泉。露天風呂、展望浴場、打たせ湯、ジェットバス、サウナ、家族風呂。近くには宿泊施設「能美海上ロッジや浮き桟橋で釣りが楽しめる長瀬釣り場施設などがあります。
軍艦利根資料館…度々の空襲を受け、1945年7月29日江田島湾に沈没した重巡洋艦。
大柿町みどころ
陀峯山(だぼうさん)438m…頂上からは江田島、真道山、野登呂山、そして広島湾が一望できます。中腹には羅漢石と呼ばれている巨岩群があります。
六角紫水碑…日本を代表する漆工芸家「六角紫水(ろっかくしすい)」の生誕地。
※六角紫水(ろっかくしすい)1867~1950: 岡倉天心や横山大観らと日本漆工芸界で活躍。中尊寺金堂、厳島神社殿の修復などを手がけた。またキリンビールのラベルの麒麟は彼のデザインです。

沖野島(おきのしま)
静かな静かなマリーナ
住所/広島県江田島市大柿町大字深江字沖野島
面積/0.75km2周囲/6.1km
人口/?人(H17)・7人(H12)・5人(H7)国勢調査
アクセス/【車】国道487号線の大柿町大原交差点から県道300号を深江方向へ10分ほど走って沖野島橋を渡れば沖野島

沖野島は能美島の南西、大柿町深江の新開(しんがい)地区に接するように浮かぶ島で、能美島とはわずかに島戸瀬戸で隔てられています。かつてはこの狭い瀬戸を船で行き来して、ミカン栽培や水田耕作などが行われていましたが、昭和47年に沖野島橋(24m)が開通してからは道路も整備され島の様相も少しづつ変化が見られるようになっています。
特に平成5年に北側の入り江に「沖野島マリーナ」が出来てからはレジャーリゾート的色彩も出てきているようです。
沖野島の西には無人島の大黒神島、そして北側にはカキの養殖筏が並び、その入り江のまた入り江にある静かな海にはヨットやトレジャーボートが並ぶ海洋レクリエーションスポットになっています。

大黒神島(おおくろかみしま)
瀬戸内海最大の無人島
住所/広島県江田島市沖美町岡大王/畑
面積/7.31km2周囲/12.0km
人口/無人島
アクセス/チャーター船[沖美町沖漁協]

大黒神島は能美島の南西に浮かぶ島で、瀬戸内海では面積が最大の無人島です。そして、日本全国の無人島の中でも4番目の大きさで、大きいほうから北海道の「渡島大島」、鹿児島県の「馬毛島」、小笠原諸島の「兄島」、そしてこの大黒神島の順になります(2010年時点)。
現在は無人島ですが、人が定住していた時代もあります。天保大飢饉の頃に耕作地を求めて能美島から移り住んだ人達が居て、その後農地も人口も増えた時期があったようです。しかし、時代と共に戸数も減り、昭和62年に最後の一戸が離島したことで無人の島になりました。天保の大飢饉は1833年から始まっていますから、150年位は人が住んだ歴史があったことになります。
標高460mの櫛ノ宇根(くしのうね)を中心にゴツゴツとした岩肌の山が海岸線まで迫ります。この山尽くしの島のどこに耕作地があったのかと思えるほどで、開拓民の苦労が偲ばれます。しかし、むき出しの花崗岩は採石には適しており、昔から石材の産地として知られていました。航空写真を見ると南側の山肌が削られた様子が痛々しさを感じさせます。
大黒神島は大柿町の沖野島からは1.3kmほどしか離れていませんが、沖美町に属します。これには大王村(沖美)と深江村(大柿)がこの島の所有権を巡って争った時、伝馬船競争で決着をつけることになり、機転を利かせて到達直前に砂浜に草鞋(わらじ)を投げた大王村が先に到達したことになり、島の所有権を得たという話が残っています。
2003年(平成15)1月に、厚木基地にある米空母艦載機の夜間離着陸訓練(NLP)施設をこの島に移設する計画が持ち上がったことがあります。これは活性化を模索していた町側が秘密裏に話を進めていましたが、一端計画が露見すると近隣住民や核被爆地でもある広島県の反対でたちまち中止になりました。これは過疎化と財政難に悩む町の姿を浮き彫りにした事件でもありました。
島の北側の海にはたくさんの牡蠣の養殖筏が並び、その筏(いかだ)にはちらほらと釣り糸を垂れる人の姿が見られます。また夏には無人島サバイバル体験に訪れる人達もいる長閑な大黒神島です。
○大黒神島本舗

大奈佐美島(おおなさびじま)
広島湾要塞の入口
住所/広島県江田島市沖美町美能
面積/0.7km2周囲/?km
人口/無人島
アクセス/チャーター船

大奈佐美島は能美島の北端にある「がんねムーンビーチ」の北約1km、厳島(宮島)から東へ約1.3kmの海上に浮かぶ無人島です。最近まで「大那沙美島」という字が使われることもありましたが、国土地理院の地図には「大奈佐美島」となっています。
幕末のペリーの来航以来、攘夷という言葉が叫ばれるようになり、広島藩は1864年、厳島海峡の防備のために厳島とこの大奈佐美島に砲台を設置します。幸いこの砲台は使われることは無かったようですが、明治期に入り次第に広島湾の軍事的重要度が高まり、明治33年には改めてこの島に砲台が設置されています。
太平洋戦争が終わり広島湾要塞が崩壊すると、大奈佐美島も軍事的役目を終え、それから間もなくして江田島からの入植者が現れ、暫くは定住者がいたようです。そして、昭和45年に港湾土木会社によって島が買い取られたことで、再び無人の島になっています。
港湾土木会社所有になってからは、土砂採掘により島が変形するほどに削られ、緑の無い裸の島になりかけましたが、近隣住民の要望もあり植林が行われ緑を取り戻したようです。
現在の大奈佐美島は、北側の海にカキ養殖筏が並び、周囲には釣り船が揺れる長閑な風景が広がっています。そして島内はヤブや林の中に、かつての採石場の建物やトラックが朽ちるままに放置されている状態です。

絵の島(えのしま)
かつての賑わいも波と消ゆ
住所/広島県江田島市沖美町美能
面積/0.21km2周囲/?km
人口/無人島
アクセス/チャーター船

絵の島は大奈佐美島の北約1.3kmにある小島で、2つの島が砂州で繋がってコの字型の深く抉れた湾を成しているのが特徴的で、かつては小奈佐美島(小那沙美島:こなさびじま)と呼ばれていました。
標高は35mで、頂上には1904年(明治37年)に初点灯した「安芸絵ノ島灯台」が白く聳えています。また、島内にはレンガ造りの古い建物や人為的に掘られたものなのか、不自然に口を開けた6つの洞窟があり、冒険心をくすぐります。
昭和の初め頃にリゾート施設建設を目的として個人が島を所有したという記録があり、その時の遺構が残されているもののようです。当時日本は戦争へと歩を進めている時期でもあり、広島湾は軍事的に重要地域だったために、小奈佐美島のリゾート施設の情報はあまり残されていません。
そして、敗戦間もない頃は駐留米軍の保養地として使われていたこともありますが、米軍が去った後の昭和28年には瀬戸内海汽船(株)が島を買い取り、海水浴場として砂浜を整備し、夏季限定の渡船も運航されていました。
昭和36年に島名が現在の「絵の島」に変更され、当時はリゾート地としてかなり人気があり、毎年シーズンになると8万人以上の来島者があったようです。
しかし、時代が進むとともに島を訪れる人も数を減らし、平成2年で海水浴場も閉鎖になり完全に無人の島になっています。

関連リンク

江田島市役所江田島市観光ガイド

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10/03/06