香川県の島塩飽諸島粟島
awashima_ph.jpg 粟島
粟島地図

粟島(あわしま)塩飽諸島
船乗りの島
住所/香川県三豊市詫間町粟島
面積/3.68km2周囲/16.0km人口/216人(H27)・289人(H22)・349人(H17)・415人(H12)・524人(H7)国勢調査
アクセス/[粟島汽船須田港→粟島港(15分)
概要
粟島は塩飽諸島の一番南に位置し、庄内半島の付根にある須田港から客船で15分の距離にある。3つの島が砂州で繋がり一つになったもので、入り江は古くから風待ち潮待ちの港として利用されてきた。戦国時代は塩飽水軍の拠点となり、江戸時代から明治時代の初めまでは北前船の寄港地として栄えた。その後、海員学校が設立され多くの船乗りを輩出。粟島は“船乗りの島”と言われるようになる。
粟島海員学校校舎
日本初の船乗り養成学校「村立粟島海員補習学校」は島の有志たちによって明治30年に設立された。後に県立、そして国立粟島海員学校へと昇格したが、海運業の衰退などで昭和62年に廃校となり、90年の歴史に幕を下ろした。学校跡地は粟島海洋記念公園として多目的広場、テニスコート、キャンプ場、宿泊施設「ル・ポール粟島」などの施設が整備された。大正9年に建てられた洋風校舎はそのままの形で粟島海洋記念館となっている。
亀戎社
粟島港には竜宮城の形をした建物がある。これは集排処理施設で、粟島が浦島伝説ゆかりの地であることから竜宮城に仕立てたもの。浦島伝説は日本各地に残されているが、庄内半島や粟島には物語りにまつわる地名が多いのが特徴。粟島の亀戎社(かめえびすしゃ)は伝説の亀の霊が祀られる社。姫路は乙姫様が太郎を浦島の里へ送り届けた後に身を寄せたと伝わる場所。
粟島の最高点城ノ山(じょうのやま)(標高222m)には戦国時代に矢倉(八倉)弾正を城主とする粟島城があったと伝えられている。麓から登山道を登ると頂上に展望台があり絶景が開ける。
阿島山へと繋がるトンボロ(陸繋砂州)の西側は1,000mの砂浜が続く西浜海水浴場。夕陽が綺麗。
2010年に開催された第1回「瀬戸内国際芸術祭」は好評のうちに幕を閉じたが、粟島ではその気運を継続させようと休校中の中学校を利用して「粟島芸術家村」が催された。

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