岡山県の島児島諸島釜島(かましま)
釜島(かましま)[児島諸島]
藤原純友の隠し財宝
住所/岡山県倉敷市下津井
面積/0.40km2周囲/3.2km
人口/0人(H17)・0人(H12)・0人(H7)国勢調査
アクセス/[むくじ丸海運、三宅観光渡船]
児島観光港下津井港からチャーター船
鷲羽山・下電ホテル iconでは「釜島」体験プランがある。

岡山県倉敷市の南端には名勝・鷲羽山(わしゅうざん)があります。釜島は鷲羽山展望台から南東へ約1kmの海上に浮かぶ、平坦で三角形をした島です。
現在は訪れる人もまばらな無人島ですが、昭和40年前後には、海水浴客などの来島者が年間1万人にも及ぶ賑やかな島でした。
釜島が備前岡山藩の所領になったのは正保3(1646)年で、元禄年間(1688~1703)に島守が置かれたのが入植の始まりだと伝えられています。「児島郡誌」には享保6年に1戸8人、明治8年5戸24人、明治41年6戸28人の記録があり、戦後には定住者の数も増え、昭和30年に人口76人を数え、小・中学校も開校していました。
釜島からは先史時代のサヌカイト石器(讃岐石の打製石器)や石斧、土器、古墳群など時代時代の遺物が見つかっており、古くから人の出入りがあったことが窺われます。また、藤原純友が瀬戸内海で起こした天慶の乱(940)の時には、島の北西に出城が築かれ、追捕軍との戦闘で多くの血が流され周囲の海は赤く染まったと語られています。
このためか、釜島には「純友の隠し財宝が眠る」とか「戦で命を落とした者達の怨霊がさ迷っている」などの話も囁かれています。
日本が高度経済成長を続ける最中、その豊かさを求めて島を離れる人が増え、そしてその成長を止めた昭和49年には釜島から定住者の姿が消えています。その後、海水浴シーズンだけ営業する民宿と茶屋が1軒ありましたが、いつの間にか客足も遠退き、現在は完全な無人の島になっています。
釜島の名は、古くから行われていた製塩に由来するようです。塩を作る時に海水を煮詰めるための釜から釜島になったというもので、かつては塩釜島と呼ばれたこともあったようです。島の北側にある塩釜神社はいつ頃建てられたものかは分かりませんが、島の歴史を伝えるかのように古い鳥居と小さな祠が静かに鎮座しています。
千年前の戦で命を落とした亡霊達も、釜島の海岸から眺める瀬戸大橋の景色や夜景の美しさに心を奪われているかもしれません。

関連リンク

倉敷市公式ホームページ
倉敷観光WEBサイト

釜島周辺の宿

倉敷・児島・鷲羽山の宿[じゃらん]
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10/07/22 ----------------------------------------------------------------Copyright(C) 日本の島へ行こう All rights reserved.