山口県の島熊毛群島佐合島(さごうじま)
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11/12/01------------Copyright(C) 日本の島へ行こう All rights reserved.

佐合島(さごうじま)熊毛群島
海の青さ山の青さに雲重なれり
住所/山口県熊毛郡平生町大字佐合島
面積/1.32km2周囲/5.5km
人口/42人(H17)・44人(H12)・38人(H7)国勢調査
アクセス/佐賀漁港→佐合島(10分)

佐合島は山口県の南端にあたる熊毛半島の西側にある島で、田布施町の馬島、刎島とは猫瀬戸を挟んで間近にあります。
北部と南部に100mを越す山があり、全体的に山がちで中央部東側の僅かな平地に集落と港があります。
いつ頃から定住が始まったのかは定かではありませんが、中世の頃は京都賀茂神社の社領だったと伝えられ、また対岸の佐賀地区には縄文時代の岩田遺跡や5世紀前半に造られたと思われる神花山古墳などもあることから、かなり古い時代から人との関わりがあった島だということが想像できます。
古くは佐郷島や佐河島と記され、慶長5年(1600)の検地帳には佐合の文字が見られるといいます。“佐合”の由来は個人的には“佐賀”が変化したものと思っています。佐賀や嵯峨という地名は全国に何箇所かありますが、河口の潮が逆流する(遡る)ような場所に付けられることが多く、平生町佐賀も川が多いことから地名となり、“佐賀の島”が“さごうじま”になったのではないでしょうか。
人口は天保13年(1842)に694人、明治22年(1889)に975人を数えたという記録があり、現在の過疎の状態からは想像できないくらいの賑やかな島だったようです。
久保白船
俳人で水彩画家の久保白船(くぼ はくせん)は明治17年(1884)に佐合島の醤油造りの家に生まれています。ちょうど賑やかだった頃のことです。白船は県立山口中学校を卒業して20歳の頃にこの島に戻り家業の醤油醸造業を営みながら自由律俳句の創作活動をつづけています。荻原井泉水が創刊した新傾向俳句機関誌『層雲』の同人となり、種田山頭火や江良碧松とともに「層雲の周防三羽烏」と呼ばれるほどの才能を見せています。代表作は「海の青さ山の青さに雲重なれり」、「踞(うずくま)ればふきのたう」等があり、島内には、白船の生家跡地が残されています。
過疎と高齢化が進む静かな佐合島も季節になると白船が詠んだ海や山の青さを求めて来島する人も多いようです。

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