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地島(じのしま)
地島(じのしま)[筑前諸島]
椿と漁業の島
住所/福岡県宗像(むなかた)市地島
面積/1.57km2周囲/9.3km
人口/195人(H17)・212人(H12)・243人(H7)国勢調査
アクセス/【船】鐘崎(かねざき)港→泊港(15分)→豊岡(白浜港)(8分)

福岡県宗像市の鐘崎港から北西へ約3km、連絡船に乗って20分ほど揺られると地島に到着します。東は響灘、西は玄界灘に挟まれた漁業の島。港には一本釣りや定置網の漁船が並び、周辺の磯にはウニやアワビを獲る伝馬船が浮かびます。
標高187mの遠見山を頂点に100mを越える山々が連なり、東側には切り立った断崖が続き、北風が当たらない南側と西側の窪みに集落があります。南側の泊漁港から地島小学校を経て西側の豊岡漁港、さらには倉瀬展望台まで延びる道は“椿ロード”と呼ばれ、毎年2~3月には道の両側にたくさんのヤブ椿が花を咲かせます。そして椿の花でいっぱいになる3月の初め頃には「地島椿祭り」が開かれ、新鮮な魚介類や椿ごはん等も販売され賑わいを見せます。
地島は古代海洋豪族として知られる宗像氏の拠点の一つにもなっていた島で、古い歴史を持っています。泊港のところにある厳島神社は、宗像氏所縁の宗像三女神を祀る神社で、安芸の宮島の厳島神社より先に分霊されたと伝えられています。毎年7月中旬に催される祇園祭の山笠は、この厳島神社から出発して島を練り歩きます。
島名の由来として、三女神の一人、市杵島姫(いちきしまひめ)と慈しむ(いつくしむ)の音が似ていることから慈島となったものが後に誤って地島と表記されるようになったと筑前国続風土記は伝えています。実際に厳島神社の古い鳥居には「慈島宮」と彫られている文字が見えます。また、お隣りの大島に対して小島と呼ばれていたこともあるようです。
江戸時代になり福岡藩の初代藩主となった黒田長政は地島の整備も行っています。長政が命じて造らせた波止場を殿様波止と呼び、参勤交代で立ち寄った時に使った井戸を殿様井戸として後々まで語り継がれているようです。殿様波止は慶長8年(1603年)に父、黒田孝高(如水)が造ったものを1618年に長政が補修したという記録もあります。
人柱伝説供養碑というのは、殿様波止を作るときに工事が難航したので、神の怒りを鎮めるために若い娘2人をこの波止に埋めたという言い伝えです。人柱伝説は全国の所々で聞かれますが、どこまで真実か分かりません。波止を造る時に事故か何かで亡くなった人がいたのでしょうか?
小学校の近くに「孝女こやの碑」が建っていますが、これはこの島に住んでいた九郎右衛門という人の娘“こや”が大変な孝行娘だったために、語られ碑が建てられたものです。ただし、資料が見つからずその内容は分かりませんでした。
昭和60年に放映された東芝日曜劇場「天ノ島地ノ島」(樋口可南子主演)はこの島が舞台になっています。(参考:シマダス)

※黒田長政[永禄11年(1568)~元和9年(1623)]:関が原の戦いでの功績を認められ筑前国福岡藩の初代藩主となる。キリシタン大名。父は豊臣秀吉の軍師として有名な黒田孝高(よしたか)(官兵衛、如水)。
※人柱というのは大規模な建設事業などで安全を神に祈るために人身供養することだが、大昔にはそういう事があったかもしれないが、江戸時代にあったかどうかは不明。ただ伝承だけはあるようです。


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※大島
09/11/11