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小呂島(おろのしま)[筑前諸島]
玄界灘のひょうたん島
住所/福岡県福岡市西区大字小呂島
面積/0.43km2周囲/3.3km
人口/203人(H17)・211人(H12)・226人(H7)国勢調査
アクセス/【高速船】姪浜(めいのはま)→小呂島漁港(65分)
※[月水金(1日1便)/火木土日(1日2便)]

定期船「ニューおろしま」は博多湾の姪浜港から能古島そして玄海島を右手に見ながら玄界灘へと船出して、一路「小呂島」へ向います。福岡市の糸島半島の先端西浦崎から約26km、宗像市の沖ノ島を無人島に数えれば、福岡県の中では小呂島が九州本土から一番遠い有人島ということになります。
玄界灘に浮かぶ小島として古代より知られていましたが、定住の歴史には厳しいものがありました。湧き水も川も無く飲料水は雨水を頼りとするところが大きく、いったん旱(ひでり)が続くとたちまち水不足に陥るといった状態で、16世紀の終りに最初の定住者となった本間弥四郎一族も食料と水不足で全員が餓死したという記録が残っています。
1637年の天草・島原の乱以降、幕府は異国船の取り締まりを強化していきます。小呂島にも1640年頃から番船が差し向けられるようになり、1643年には仮番所が置かれています。そして1645年(正保2)に福岡藩は遠見番所を設置し漁業権獲得のために本土の西浦付近の5家族に移住開拓を命じ、それから有人島としての歴史が始まります。
平地が少なく水が貴重なため農業は難しかったようですが、周囲の豊かな海は漁業を発展させていきました。江戸時代になると日本でも捕鯨が盛んに行われるようになり、長崎から玄界灘、響灘にかけても各地に捕鯨基地が作られました。そしてこの小呂島もその一つとして数えられ活況を呈したこともあったようです。今ではその名残を見つけることは難しいですが、豊かな海は健在で、旋網(まきあみ)漁を中心とした漁業が島の経済を潤しています。
小呂島(おろのしま)という名前はどこか曰くありげに聞こえます。実際、江戸時代には「大蛇島(おろちじま)」と呼ばれていたこともあって、島の北端にある穴から大蛇が出入りしていたのが島名の由来だという伝説があります。あるいは13世紀に日宋貿易で活躍した謝国明(しゃこくめい)がこの島の領有を巡って宗像氏と争った時には、既に「おろ島」という記述が見られることから、中国か朝鮮の言葉が由来ではないかとも憶測されています。しかし、いずれもはっきりした根拠に乏しく、「オロノシマ、オロシマ」と口ずさんでいると島影に船を泊めて遠く博多を眺めている謝国明の姿が思い浮かぶばかりです。
小呂島へ向う定期船は一日1~2便。日帰りをしようと思うと予定をしっかり立てないと帰れなくなってしまいます。しかし、定期船に乗り込むのは関係者以外は釣り人ぐらいで、観光に訪れる人はほとんどいないようです。それに一般の人が泊まれるような宿泊施設も無いので、泊まるとなれば野宿ということになります。
島を散策したい人のために見所を挙げると、港の近くにある「七社神社」、島で一番高い宮山(109m)の中腹にある「嶽宮神社」、小学校の近くにある「旧海軍望楼跡」などが挙げられます。道は南側の集落の辺りから島の真ん中より少し北にある小中学校まで通じていますが、それより先は道無き道です。北端の貽貝(いがい)瀬は、名前の通り“イガイ”という貝がたくさん採れる所だそうです。貽貝(いがい)というのはムール貝と同じ種類で食用にも出来、大きい物だと20cm位になります。

関連リンク

福岡市西区
福岡市立小呂小中学校

◆福岡県(糸島・前原の宿)[じゃらん] icon
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09/10/21