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悪石島の地図(Yahoo!地図情報)
悪石島(あくせきじま)
悪石島(あくせきじま)
ボゼが降りる神々の島
住所/鹿児島県鹿児島郡十島村大字悪石島
面積/7.49km2周囲/8.8km
人口/94人(H17)・80人(H12)・71人(H7)国勢調査
アクセス/【船・村営フェリーとしま】
鹿児島本港北埠頭→やすら浜港(11時間)(口之島〜中之島〜平島〜諏訪之瀬島経由)
奄美大島・名瀬港→やすら浜港(5時間10分)(宝島〜小宝島経由)
【船】チャーター船 村営高速船「ななしま」
十島村の各島間や各島から名瀬・屋久島などへ運航可能。

悪石島は屋久島と奄美大島の間に連なるトカラ列島のほぼ中央に位置しています。鹿児島港から11時間、奄美大島から5時間。周囲10kmにも満たない島の標高は584m。断崖が海岸線まで迫る、まさに秘境の中の秘境です。
トカラ列島と一口に言っても、北は口之島から南は横当島まで162kmの間に小島が点在し、海で隔てられたそれぞれの小島にはそれぞれの風習が封じ込められています。
悪石島だけに伝わる「ボゼ」という風習はとりわけ注目を集めているもので、旧盆(旧暦7月15日)の前後に行われる盆踊りの最終日に仮面神「ボゼ」が現れ、盆の幕引きをします。秋田県に伝わる「なまはげ」と似ていますが、ボゼ神はボゼマラという性器を象徴とした細長い棒を持ち、先端に塗られた赤い泥水を人々に付けて回り邪気を払います。泥水を付けられた子供は健康に育ち、女性は子宝に恵まれるという言い伝えです。赤い仮面の大きくて丸い目と耳、そして尖った鼻を持つボゼ神の姿は、インドネシアなどの南方系のものと似通っていて一段と神秘さを増しています。
美女とネズミと神々の島 というのは、昭和35年に朝日新聞のコラム『底辺に生きる』に掲載されたものを、後に単行本として出版した時のタイトルです。当時朝日新聞社の記者だった秋吉茂氏が1ヵ月に亘って悪石島に滞在し、貧困に喘ぐ島の実態を身を持って体験したものを克明にまとめ上げたもので、これによって悪石島の名が一躍世間の知れるところとなりました。2005年8月には文学碑が建てられています。
港の近くにはもう一つ碑があります。1944(昭和19)年8月22日、那覇からの学童疎開船「対馬丸」が悪石島の北西約10kmの地点でアメリカの潜水艦に撃沈され、乗員1788名のうち1418名が犠牲になるという痛ましい事件が起きました。1962年に建てられた「対馬丸慰霊碑」の周りは小・中学生などの手によっていつもきれに清掃され、平和への祈りが捧げられています。
悪石島の小・中学校は子供の数が少ないので、いつでも休校になる可能性を秘めています。そして、他校の生徒との交流も大変。同じ十島村でも島から島への船旅になります。修学旅行は他の十島村の生徒達と合同で出かけます。11時間の船旅で鹿児島へ、そして新幹線で熊本へ・・・。無事に天候に恵まれても11時間の船旅は大変そうですが、その分楽しさも倍増です。ちなみに、平成20年の悪石島には小学生が5人、中学生が4人で頑張ってます。
秘境には秘湯が付き物ですが、霧島火山帯の上にあるトカラ列島の悪石島にも温泉が湧き出ています。島の入口、やすら浜港の北側には、内風呂と露天風呂がある「湯泊温泉」、少し北へ進んだ所に「砂むし風呂」、そして海岸の岩場にある「海中温泉」などがあります。はるばる訪れた秘境の温泉は格別かもしれません。2009年『砂風呂』で「島の宝100景」に選ばれました。
トカラ列島には平家の落人伝説が残されています。平家の落人が源氏の追っ手から逃れるために、島に悪石という厳(いか)つい名前を付け、近寄れないようにしたという伝説がります。
特産品はタケノコ料理やトビウオの干物。宿は民宿が5軒あります。
2009年7月22日、46年ぶりの皆既日食を観ようと多くの人が空を見上げました。ここ悪石島では皆既状態が6分25秒続く一番の観測ポイントということで、観光客と報道関係者など286人が島を訪れ満を持して待ちましたが、生憎の雨と強風で思うような観測はできなかったようです。しかし、トカラの悪石島を訪れたことはある意味一生の思い出になったことでしょう。次に日本で皆既日食が見られるのは2035年9月2日(能登半島から茨城県の間)ということですから、26年も先になります。

関連リンク

鹿児島県十島村ホームページ
鹿児島県十島村立悪石島小・中学校 ウェブサイト
トカラ列島〜日本最後の秘境〜

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09/07/22 更新