沖縄県の島>>慶良間列島>>渡嘉敷島(とかしきじま)
渡嘉敷島(とかしきじま)
命の深さも見通す透明の海
住所/沖縄県島尻郡渡嘉敷村
面積/15.29km2周囲/19.6km
人口/785人(H17)・730人(H12)・725人(H7)国勢調査
アクセス/【高速船】沖縄・那覇泊港→渡嘉敷港(35分)
【フェリー】沖縄・那覇泊港→渡嘉敷港(1時間10分)

慶良間列島は沖縄本島・那覇の西方約10kmから40kmの海上に浮かぶ座間味村と渡嘉敷村に属する大小30余りの島々を指します。慶良間の海は世界でも屈指の透明度を誇り、年間を通してシュノーケリングやダイビングを楽しもうとたくさんの人々が訪れます。そして渡嘉敷島はその列島の中程に位置しており、一番大きく来島者が最も多い島です。
全体的に山がちで平地は少なく、入り江になったところに渡嘉敷、渡嘉志久、阿波連の3つの集落があります。かつては漁業が中心の島でしたが、現在では訪れた誰もが感嘆する美しい海を資本に、旅館や民宿、ダイバーズショップなどの観光業が中心に行われています。
この美しく平和で穏やかな島にも忘れてはいけない戦争の忌まわしい記憶があります。1945年3月23日。慶良間の人々にとっては全く予想もしなかったアメリカ軍による砲撃、進攻が始まったのです。これは沖縄本土攻撃の拠点にするための慶良間占領でした。エメラルドグリーンに輝く海は米艦船に埋め尽くされ、艦砲射撃は容赦なく降り注ぎました。そして、米軍は3月26日に座間味へ、27日には渡嘉敷島への上陸が行われました。それまで鬼畜米英と教えられてきた住民にとって、米兵の上陸はパニックとも言える恐怖心を抱かせ、人々は死という逃げ道しか残されていない状況にまで追い詰められました。
渡嘉敷島には「集団自決跡地」の碑が建てられています。「集団自決」とは集団で自らの命を絶つという意味ですが、「集団自殺」とはニュアンスが違います。自決という言葉には自殺よりも強い意志があり、大義名分を伴った死というものが感じられます。武士の切腹の延長線上にあるもので、“潔(いさぎよ)い”という言葉で死を肯定的なものにする意味合いがあります。
逃げ場を失った渡嘉敷島の人々は、3月28日集団で死を選びます。その数は329人とも言われており、当時の住民の半分以上にもなります。軍人でもない一般市民が何故集団で自決の道を選ばなければならなかったのか。女性、子供を含む一般人が“潔(いさぎよ)い”死を選ぶ必然性があったのか。“自決”という言葉の裏にはどうしても軍の関与、あるいはその思想が深く入り込んでいるようなイメージがあります。誰の責任かと問われた場合、戦争を起こした国の責任であることは間違いないことですが、座間味島や渡嘉敷島の場合はより具体的に、守備隊隊長の玉砕命令があったとされていました。そのことについては以前から疑問が持たれていましたが、戦後60年以上を経た2006年に、軍の命令は一切無かったと正式に証言する人も現れました。軍の命令による自決であれば年金を受け取ることが出来るという理由からでした。年金を受け取るために虚偽の書類が作られ、そして守備隊隊長は遺族に年金を渡すためにあえて嘘をついて重荷を背負ったのです。現在では軍による玉砕命令は無かったというのが一般的な見方になっています。
大切なことは真実を知ることであり、そして記憶に留めることであり、伝えることです。慶良間の海がいつまでも美しく、我々を魅了し続けるように・・・。
2009年『魚が泳ぐ町並み』で「島の宝100景」に選ばれました。

関連リンク

渡嘉敷村 - 公式サイト
渡嘉敷村商工会 オフィシャルサイト
慶良間列島
▲慶良間列島
◆慶良間諸島の宿[じゃらん] icon
▲沖縄県のTOP ▲日本の島へ行こうTOP
09/07/17 更新