沖縄県の島尖閣諸島魚釣島(うおつりじま)
魚釣島(うおつりじま)
魚釣島(うおつりじま)
海底に眠る石油資源
住所/沖縄県石垣市字登野城2392番地
面積/3.82km2周囲/約10km
人口/無人島
アクセス/石垣島の北北西約175km。漁船で約5時間。

魚釣島は石垣島の北北西約175kmの位置にある無人島で、尖閣諸島の主島です。周囲10kmに標高362mですから、かなり切り立った感じの島だと言えます。面積は3.82km2、愛媛県の睦月島(3.81km2)や伊豆七島の式根島(3.69km2)と同じ位で、クバ(ビロウ)やタブの木などが島を覆い、小さな川もあることから尖閣諸島の中では唯一、雨水に頼らず飲料水が確保できる島です。
沖縄は琉球王国が成立する以前から中国や台湾と交流があったことから、尖閣の島々はかなり古い時代から知られていたことが想像できます。記録に残るところでは、明の冊封使・陳侃(チン・カン)が1543年に著した『使琉球録』に「釣魚嶼」、「黄毛嶼」、「赤嶼」の文字が見られ、当時すでに琉球への海路の目印になっていたことが分かります。ちなみに、釣魚嶼は魚釣島、黄毛嶼は久場島、赤嶼は大正島のことです。また、沖縄では魚釣島のことを「イーグンジマ」や「ヨコンジマ」、あるいは「ユクンジマ」と呼ぶようです。
魚釣島は絶海に浮かぶ小島であることから長い間人の手が加えられたことはありませんでしたが、19世紀の終わり頃に古賀辰四郎という日本人によって開拓が始められています。島ではアホウドリの羽毛の採取・加工、鰹節の製造、肥料の原料となるグアノ(鳥の糞の化石)の採取などが行われ、明治40年頃の最盛期には250人近くの人が生活をしていたという記録があります。そして、事業は大正、昭和と続いていきますが、基幹だった鰹節製造の採算がとれなくなり、1940(昭和15)年に加工場が閉鎖され、他の尖閣の島々と同様に魚釣島も無人島になっています。
尖閣諸島の調査は明治17年頃から行われていましたが、日本政府が正式に日本領として沖縄県に編入したのは日清戦争も終わりに近づいた1895(明治28)年1月14日のことです。そして尖閣諸島の5つの島(南小島、北小島、魚釣島、久場島、大正島)にはそれぞれ番地が振られ、魚釣島の住所は沖縄県石垣市字登野城2392番地になっています。
尖閣諸島は人も住めないような島々ですが、1968年(昭和43年)に行われた調査で、付近の大陸棚に大規模な石油資源が眠っていることが判明すると、中国、台湾がこぞって尖閣諸島の領有権を主張するようになり、日本の領海を侵犯するという事態が度々起こっています。
尖閣諸島にはセンカクオトギリ(植物)、センカクモグラ(哺乳類)、センカクナガキマワリ(昆虫類)などの固有種が見られましたが、日本人が昭和53年に持ち込んだヤギが魚釣島で繁殖し、貴重な植物を食い荒らし、島の生態系に影響を与えていることが危惧されています。

関連リンク

外務省 尖閣諸島の領有権についての基本見解
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10/10/11 ----------------------------------------------Copyright(C) 日本の島へ行こう All rights reserved.