佐賀県の島玄海諸島加唐島(かからしま)
加唐島(かからしま)玄海諸島
百済の武寧王、誕生!
住所/佐賀県唐津市鎮西町加唐島
面積/2.83km2周囲/14.6km
人口/208人(H17)・217人(H12)・249人(H7)国勢調査
アクセス/【船:加唐島汽船】呼子港→加唐島漁港(20分)

佐賀県は北に玄界灘、南は有明海に面しており、佐賀市がある有明海側には島影は見当たりませんが、唐津市や伊万里市がある玄界灘側にはたくさんの島々が点在しています。加唐島は唐津市の呼子湾の沖合い約6kmに浮かぶ島で、ちょっと気付きにくいかもしれませんが、佐賀県の最北端の島です。よって加唐島の北端にあるカリオ岬のエヌヲノ鼻が佐賀県の最北端ということにもなります。
唐津市鎮西町は豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点とした名護屋城が造られた所で、半島との関わりを感じるところです。そして、加唐島にも古代朝鮮と関わりのある伝説が残されています。
日本書紀には第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)のお后である神功皇后は、天皇亡き後に神託を授け、身籠ったまま三韓(新羅、百済、高句麗)征伐を行ったと記されています。その際、加唐島に立ち寄りオビヤ浦で“着帯の式”を挙げられたという伝説があり、オビヤ浦の名前はその故事に因むものだと言われています。
さらに日本書紀では雄略天皇紀5年(461年)の条で、百済の第25代王・武寧王(ぶねいおう)誕生の話が記されています。百済は倭国との同盟関係を保つために蓋鹵王(がいろおう)の弟・昆支(こんき)を人質として倭国に差し向けます。その時伴った側室が筑紫の各羅島で子を産み、後にその子が百済の武寧王になったと記されています。筑紫の各羅島(かくらしま)というのは加唐島のことで、武寧王はオビヤ浦の洞窟で産み落とされたと伝えられています。
しかし、日本書紀の内容には疑問が持たれている部分も多く、神功皇后の存在自体も賛否両論意見が分かれているところですが、武寧王に関しては朝鮮最古の歴史書『三国史記』に於いても記述があり、さらに1971年に古墳群の中から武寧王のものだと思われる墓誌が見つかり、それに書かれていた生没年が日本書紀のものと一致したことで、その信憑性が高まったとして注目を浴びています。
神功皇后の三韓征伐は3世紀初めのことだとされており、武寧王の誕生は462年で、この二つの事件には250年以上の開きがあるのですが、着帯と出産、何か関連があるようにも思えてきます。
加唐島は昔から“椿の島”として知られていました。秋になると椿油の原料となる椿の実の収穫が始まります。また、周りの海は魚の宝庫で、島に2軒ある宿、「旅館正見屋」と「民宿ゆうすげ」に泊まると自慢の新鮮な魚介類が食卓に並びます。
島には猫が付き物。きっと漁が盛んな島には餌が豊富にあるのかもしれません。そして加唐島にもたくさんの猫が居ます。逆に島にある八坂神社の祟りがあるというので、犬は一匹もいないようです。これは珍しいかもしれません。
2009年、加唐島は『百済武寧王生誕の伝承』で「島の宝100景」に選ばれています。

関連リンク

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09/11/26