佐賀県の島玄海諸島小川島(おがわしま)
小川島
小川島地図
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小川島捕鯨古図
小川島(おがわしま)玄海諸島
昔はクジラ、今はイカ
住所/佐賀県唐津市呼子(よぶこ)町小川島
面積/0.92km2周囲/4.0km
人口/476人(H17)・575人(H12)・724人(H7)国勢調査
アクセス/【船:川口汽船 呼子港→小川島港(20分)

東松浦半島の北部にある呼子港から定期船で20分、小川島は玄海灘に浮かぶ小島です。古くは朝鮮半島との交通の要衝として知られ、近世には捕鯨基地として繁栄を見せています。現在の小川島は港に小型漁船が並ぶ長閑な島ですが、残された資料には鯨と血みどろの戦いをする人々の姿が描かれています。
【捕鯨】
小川島の捕鯨は文禄3年(1594)、豊臣秀吉に松浦の地を与えられた寺沢広高が紀州の太地から捕鯨漁師を呼び寄せたことに始まります。最初は鯨を取り囲んで銛(もり)で仕留める「突き取り式捕鯨」でしたが、江戸中期になると「網取り式捕鯨」へと漁法が変わり捕獲量も増えていきます。鯨は一頭獲ると七浦潤うといわれ、呼子の鯨組主・中尾家は巨万の富を得るようになり、その権勢は殿様にも勝ると噂されるほどでした。
明治になり藩の後ろ盾を無くした中尾家は衰退し、明治10年には170年続いた鯨組の看板を下ろしています。その後、小川嶋鯨組、小川嶋捕鯨株式会社へと引き継がれて行きますが、近海での数の減少、南氷洋捕鯨への移行などで昭和36年に玄海捕鯨は終わりを告げます。
【島の名所】
田島神社
港の近くにある田島神社。海の安全を見守る宗像三女神が祀られています。鳥居が3つあり、一番奥にあるものは明和5年(1768)に鯨組・大納屋が奉納したものだと思われています。
鯨鯢供養塔
“鯨鯢(げいげい)”とは仏教用語で雌雄の鯨を意味するそうです。真ん中の地蔵を挟んで両脇に「鯨鯢供養塔」、「文久三年」の文字が彫られています。文久3年(1863)は尊王攘夷運動が激化した年です。鯨を求めて訪れた外国船が開国を迫り、それに脅威を感じた日本人が攘夷を声高にした頃です。そして西海の小島では殺生をしてきた鯨のために供養塔が建てられていました。一説では捕獲した鯨の体内にいた胎児を供養したものとも言われています。
鯨見張所
港から5分ほど坂道を登ったところにある鯨見張所。大正初期に建てられたもので、陸から鯨を見張るという意味で“山見小屋”と呼ばれていました。江戸時代の頃にこのような小屋があったのかは分かりませんが、狼煙や2本の竿に旗のようなものを付けて沖の船に鯨の位置や種類を知らせていたようです。
【現在】
イカの天日干
かつての鯨の町もすっかり様相を変え、「呼子と言えばイカ」と合言葉のように言われるようになり、そして小川島はイカ漁が盛んな漁業の島として知られ、釣り客がたくさん訪れる島になっています。また、平成4年には宿泊研修施設を備えた滞在型農園施設「めぐりあいらんどおがわ」が完成し、島の活性化の試みもなされています。

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